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半介護レポート①蘇り

  • Aguila
  • 2018年12月27日
  • 読了時間: 3分

年末に何ですが、今年の集大成としてレポートをまとめてみますので、ご興味のある方はご覧ください

来るべき時は何度もやってくる!!

それは今まで私を支えてくれたり、見守ってくれたり、けっして裏切らない絶対なる愛情のつながり

母の里は薩摩の厳しいだけの士族の出生

鹿児島の男は口ばかりで昔から叔父さん達のお酒の飲み方が大嫌いだった

女性はお台所で待機、男は好き放題で何でもありかと

そんな女性がしっかりしている鹿児島おごじょと広島出身で侍根性の強かった今は亡き父との間に私は生まれました

今年はその鹿児島に残る広い土地の財産放棄も処理して、さっぱりと肩の荷を下ろしたところです

祖母がお嫁に来たときは、見渡す限りの遠くに見える山全体がM家の土地だったようです

ついこの間まで(10年以上前ですが…)良い年をした2代目達が見苦しい口論を戦わせ、争っていた記憶があります

時が経ち亡くなる人が増えると家系図もややこしくなり、母親が生きている間に手続きしてとっとと一抜けたわけです

そんな強い大和撫子を絵にかいたような母が今年の2月に倒れました

7年前と同じ原因は心臓でした

自分で遺影を作り、身辺整理をしながら常日頃より言い聞かされている母とのお別れは胆に銘じ覚悟していますが、日に2回の電話連絡が途切れると背筋がひんやりとします

今回は考える余裕もないまま身体丸ごと引き取り同居から始まりましたが、健康管理士としのプロとして意欲的に取り組むしかないと、とても前向きに今ある日常に半介護を組み込むことになりました

ここに来ると会いたい孫にもちらほらと顔を見ることが出来たり

1人だからといい加減にしていた食事もガッツリと食べて

お風呂の時間を測られたり、下着をつける前に全身ローションをつけなければお風呂から出してもらえなかったり

お蔭で蘇りました

約1週間で今まで痛みの取れなかった痛みがとれ、乾燥して真っ白だった足の肌も全身生き返ったよう

お年賀以外は鉛筆を持たなかったのを毎食のメニュー書きの習慣付けと手先と脳トレの為になぞり書きのドリルや赤と緑の糸を使って雑巾で運針をしました

極端に難しいものは初めからさじを投げてしまうので、少し簡単すぎるくらいから始めました

はじめはお散歩も家の周りを少し回ったらすぐに帰って来ていたのですが

一緒に病院に行ったり、孫でつってランチに出かけたりしているうちに一人でお使いにいけるようになりました

春もそこまでやってくる1か月後には毎朝アクアビクスに通い始め

不具合のあるところ、巻き爪を切ってあげたり背中と頭に出来ていたオデキも手術で取り除き

とても快調になりました

大衆演劇を見る理由で京橋まで歩きました

コンビニによりお昼ご飯を買って食べました

私と別れた帰り道は、1本道を逆に行き、迷子になり泣きました

はじめは、字を書くのが嫌で鉛筆とノートを投げたり、かまいすぎると愚痴をこぼしたり、散歩で知らない人に送り届けてもらったりと上手くいかないことも沢山ありました

でも本当に1つ1つ丁寧にやって行くと目に見えて成果が出て、明日は我が身と学習も出来たと言えます

 
 
 

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